一番電車が走った~鉄道は復興のシンボル

1945年8月6日広島に原子爆弾が投下され、焼け野原となった町に3日後には路面電車が走り人々に希望を与えました。運転していたのは、戦争に駆り出されていない男性に代わって15歳の女学生でした。

原爆投下後に広島の焼け野原を走る路面電車(NHK「一番電車が走った」8月10日放映より)

原爆投下後に広島の焼け野原を走る路面電車(NHK「一番電車が走った」8月10日放映より)

原爆を投下されて壊滅的な打撃を被った広島市内でも、路面電車の線路だけはほとんど残っていました。広島電鉄の努力により変電所を修復して、原爆投下の3日後には1.4kmの区間で一番電車が走りました。そして13日後にはほとんどの区間で走るようになったそうです。焼け野原となった町に走っている電車は人々に大きな希望を与えたことでしょう。運転していたのは15歳の女学生でした。男性は戦地に駆り出されていなかったのです。

東日本大震災の津波でずたずたにされた三陸鉄道の復旧もそうでした。人々に希望をあたえました。鉄道の復旧は人々に希望を与えてくれる。鉄道復旧は復興のシンボルといえるでしょう。

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